宗一郎日記(6) by Naoko
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2003/01/21 Mauritania(1) Nouadhibou
モロッコ/モーリタニアの国境を越えてから、忘れられない出来事がたくさん
あったので書いてみようと思います。
まず、モロッコのDakhla(ダクラ)からモロッコ/モーリタニア国境までは
完璧に舗装されていて、快適に移動することが出来ました。モロッコ側で出国スタンプ
をもらい、Douane(ドゥアン=税関)を通過するのも簡単です。ところで国境から
モーリタニア側には舗装された道がないのは知ってはいましたが、多分、日本の
林道程度のダートだろうと思って、50km先のNouadhibou(ヌアディブ)に着くのに
4時間ほどもあれば大丈夫だろう、などとタカをくくっていたら大変な目に。。。
モーリタニア側のピスト(オフロード)は想像をはるかに超える砂深いルートで、
荷物満載のXLR80は、いきなり砂にスタックしまくりました。3km進むのに1時間位
かかるという有様です。
砂漠は決して平らではなく、丘あり谷ありと見通しが利かない上、ピストは
いくつも枝別れしていて、目印となる看板もなにもありません。死ぬ思いをして、
日暮れまでかかってやっと国境から20km地点にたどり着いたところで、なんと道を
間違えたことに気づきました。イミグレ(入国手続き所)とDouane(税関)が無い方
の道に来てしまったのです。
砂漠の丘の上から突然、怪しいポリスが現れ、「お前ら、ちゃんと入国スタンプと
バイクの通関を行ってきたか?」「え?イミグレも税関も見ませんでしたよ」
「じゃあ道を間違えたんだな!正しいピストはお前らが通ってきた方ではなく、
丘の向こうのピストだ。ここから7km戻った所にイミグレも税関もちゃんとある。
今すぐ7km戻って手続きを済ませてこい。」「そ、そんな殺生な。。。。ここまで
来るのにまる一日がかりだったんですよ」「知ったことか。入国スタンプがないままNouadhibou(ヌアディブ=次の町)まで行ったら不法入国だ。さぁ困ったことに
なるぞ!知らないぞ!」と脅しをかけるポリス。私達が疲労で倒れそうになっている
事など気にも留めず、いよいよ本音を出してきます。「そうか、また迷うのが不安
なんだな。大丈夫だ。ここにいるガイドを20ユーロで雇って一緒に行けば無事に着く。
是非そうしなさい。ユーロがないならドル払いでもOKだ。さあ、どうする」
私自身に限って言えば、ガイド代とかは相当どうでもよくて、ただ、死ぬ思いで
砂に埋もれながらやって来たこの砂漠を、再びバイクで1kmでも引き返すなど、
考えただけでも失神しそうな事でした。かといって、この怪しいポリスの言うとおり、
次の町ヌアディブにイミグレも税関も無かったら、私達はモーリタニアに不法滞在
することになってしまいます。考えただけで気が狂いそうになり、
「うえ~~ん、どうすればいいの~!!」と泣き出したら。。。。!(実はこの時Ryuは
横で「今だ!泣け泣け」と私をつついていたらしい。ナイスタイミング!?)
突然、ポリスが慌てだし、「おい、どうして泣くんだよ!頼むから泣くなよ」
とオロオロしはじめます。ちょうどその時、ヌアディブ方面からやってきた
通りすがりの四駆のヨーロッパ人旅行者が現れ、金髪の奥さんが「どうして泣いているの?」
「このポリスが、砂漠を7kmも戻って、入国手続きしてこいって言うんです(涙)」
「どういうこと?入国手続きならヌアディブでも出来るわよ」。。。
(なんだとぉぉう!やっぱりこの悪徳ポリス、ガイド代欲しさの出まかせか!)
するとポリス、急に手のひらを返したように「そうなんですよマダム、だから私も、
入国手続きならヌアディブで出来るから、泣くんじゃないよってさっきから
言い聞かせていた所なんですけどねぇ」(お前が言うか!)
。。。これが、私達が初めて出会った「悪徳ポリス(ガイド)」なのでした。
実は砂漠にはこの手の輩がウヨウヨいて、このあと同じ砂漠の中、同じ手口で
私達からガイド代をせしめようとする連中に2人も会いましたが全て無視。
結局、余計なやりとりでさらに時間を使ってしまい、砂漠のど真ん中でビバーク
するハメに。。。1日で抜けられると思っていたので食料もぎりぎりしかなく、
砂にスタックしまくっていたので、ガソリンも無事足りるかどうか。
美しい大砂丘の横で、大自然を愛でる心の余裕もないまま、不安な一夜を
過ごしたのでした。。。。
翌日も、死ぬかと思うほどしんどい砂ピストでしたが、Ryuに助けてもらい、
なんとか砂深いポイントを抜けることができました。でも多分、普通の250ccバイク
なら、こんなに大変じゃないと思います。しかも、砂深いのは最初の25kmくらいで、
残りの25kmは日本の林道並みに走りやすいルートでした(最初から知ってれば。。。)。
というわけで、結局、国境から50km離れたヌアディブに着くのに2日がかり。
しかし後から考えると、本当に良い経験だったと思います。モロッコに居たときより
砂漠の厳しさも優しさも、身近に感じることができたので。。。
2003/01/21 Mauritania(2) Nouadhibou train jouhou
モーリタニアはとんでもない国で、Nouadhibou(ヌアディブ)から首都の
Nouakchott(ヌアクショット)までの500kmですら、舗装路がありません。
はっきり言って、ピストすらない本物の砂漠がひろがっているだけなのです。
国境からヌアディブまでの、たった50kmでさえ2日もかかってしまった私達には、
とても500kmの砂漠を自走で越えてヌアクショットまで行くことは出来ません。
これは地元の人も同じことなので、普通は無理矢理砂漠を越えたりせずに、ヌアディブ
から貨物列車に乗って、内陸のChoum(シュム)という町まで行きます。
この貨物列車、週に2日だけ(月&土)、車やバイクを乗せられるプラットフォーム(台車)
を運んでいくので、それに便乗しようと思いました。
キャンプ場でなったフランス人ライダー2人と一緒に、列車に乗ろうと早起きして駅に
行ったのですが。。。駅のマネージャの「バイク4台?大丈夫、乗せられるさ」という
約束もむなしく、後からやってきた地元の車で、あれよあれよと言う間にプラットフォームが
いっぱいになってしまい、結局、バイクが積めなくなってしまいました!
「話が違うじゃないか!どうしてくれるんだ!」とフランス人達と駅マネージャに
抗議しに行きましたが(こういう時、フランス語が話せる友達がいるというのは心強いです)
相手はけんもほろろ、5日後(!)の列車を待て、と言われるばかり。
これでヌアディブもう一週間滞在決定か。。。、と力が抜ける思いでした。
アフリカ慣れしているフランス人ライダーの一人、パトリックはさすがにクールで、
「モーリタニアのようなアラブ社会では、ビジネスより人間関係が優先されるんだ。
見たこともない外国人なんか、どうだって良いと思われても仕方がない。僕達に
強力なコネでもあればいいんだが。。。」とのこと。
そうと分かれば、「よし、まずは駅員と仲良くなろう!」と、駅で働いているスタッフ
と一緒にお茶を飲んだり、パンやクッキーなどを振る舞っておしゃべりに興じたりして、
楽しく過ごすことにしました。
しばらくすると、駅員達の態度が急にフレンドリーになり、「どうしてバイクを
乗せないんだ。トラックの下に横倒しに突っ込めばまだスペースあるぞ」
「それは勘弁して下さい」。。。。
結局、列車には乗れませんでしたが、この出来事は本当に面白くて勉強になりました。
フランス語でいろいろ交渉してくれたフランス人のパトリック(Patrick)、
スイス人のリュック(Luc)にも本当に感謝しています。
追伸:列車は月&土のみ。結局5日後の土曜日も3つしかないプラットフォームが
すぐ地元車でいっぱいになり、外人は乗れなかったそうですが、辛抱づよく1週間後
の月曜日まで待った旅行者は、なんと7つもプラットフォームが来たため
全員が列車に車を積めただけでなく、さらにスペースが余ったそうです。
待ってみるものですね!
2003/01/21 Mauritania(3) Nouakchott madeno 500km
すごくラッキーな出会いがありました。ちょうど列車を逃したあと、キャンプ場に
愉快なフランス人のトラック3台が到着して、「わしらはこれからヌアクショットまで
このトラックを売りに行くんだが、どうだい、君たちのバイクをトラックに
乗せて一緒に行かんかね。もちろん、砂漠でスタックしたりしたら手伝って貰うこと
になるがね。ガハハハハ!」と、嬉しい提案をしてくれたのです。
しかも、お金は要らない、というのでビックリしました。
早速、翌日バイクをおんぼろトラックに積んで、3日分の食料を市場で買い込み、
さらにその翌日の朝、いざ出発!
これがどんなに大変かつ素晴らしい旅になるか、その時は想像もつきませんでした。
通常、ヌアディブ~ヌアクショットの砂漠越えは2泊3日かかると言われています。
私達はトラブルが多かったので結局4日かかりました。(地元車両は20時間で行くそうですが
土地勘のない外国人は1日で行くのは無理です) 2002年2月にダクラ~ヌアクショット間
のポリス先導によるコンボイが廃止されてからは、旅行者は地元のガイドを雇って
(1パーティ200ユーロくらい?)一緒に行くのが常識になっているようです。中には
GPSだけで砂漠を越える人もいますが、4WDの車とそれなりのテクニックが必要になります。
というのは、ヌアディブ~ヌアクショットの500kmは本当にワダチの跡すらない位
完璧な砂漠なのです。砂深い所やハードなガレ場がたくさんあります。定まったルート
はなく、ガイドの長年のカンで臨機応変に進路を見極めなければなりません。
巨大な砂丘群も合計4つ、越えなければならないのです。パリダカ車両なら楽勝でしょうが、
オンボロの20トントラックにとっては至難の業というほかありません。
私達が便乗したフランス人コンボイ(約14名)もモーリタニア人ガイド(Sidi)を
一人雇っていました。
ガイドのSidi(シディ)は自分のプジョー505(乗用車)で、砂の中を滑るように走り、
道を案内します。
一方、私達が乗っていた20トントラックはステファン(Stephane)という勇敢な
ドライバーの巧みな運転で、まるで魔法がかかったように深い砂の上を猛スピードで
走る事が出来たのですが、実は2WDだった上に、私達のバイクを2台も積んでいたので
車重のバランスが悪く、3台いたトラックのうち、最も頻繁にスタックしました。
(社長のダニエルは気にする風もなくガハハと笑っていましたが)。
深い砂にスタックする時というのは不思議なもので、突然水の中に突っ込んで
動けなくなるような感じがするのです。即座に全員が降り、他のトラック達も地盤の
固い安全な所に停車して、大勢が砂を掘るのを手伝いにやってきます。
砂が深ければ深いほど、脱出にも時間がかかります。車両の下に潜り、
全てのタイヤの前後を深く掘らなければなりません(これが重労働!)。
さらに、掘りおわった後、タイヤの進行方向にプラックと呼ばれる鉄板を敷き、
気合一発!「Tout le monde! Poussez!(さあ、押せーーー!!)」の掛け声と共に、
10人がかりが力いっぱいトラックを後ろから押し、ローギア全開で
脱出するのです。。。。が、一発で成功する事は希で、
大抵の場合、数メートル進んではまたスタック、これの繰り返しです。
気の遠くなるほどスタックを繰り返し、一回砂深いエリアを脱出するのに
3~4時間かかることもザラ(なにしろ重さ20tですから)。結局、まる一日かかって
「たった10km」しか進めなかったという、信じられない日もありました。
でも、ある事に気づいたのです。。。「またスタックかぁ」と、投げやりな気持ち
になっている限り、たとえ14人がかりでも、トラックは何度もスタックを繰り返します。
逆に「今度こそ決めてやる!」と、みんなが心をひとつにして、真剣に、タイヤの
前後だけでなく、車両の真下からなにから、時間をかけて深く深く砂を掘れば、
一発で脱出する事は決して不可能ではありません!
そのためには真っ先に自分から「掘り」に行き、たとえ空しくとも、ひとすくいでも
多く砂を掻き出してやる!くらいの気合が必要。ひとりが頑張っていれば、
周りの人々も負けじと頑張るものです。大勢の仲間と一緒に協力して20トントラックを
砂から押し出せた時の感激といったら!皆で抱き合ったり叫んだりキスしたり、
思わず涙がにじむことも。
実は、やばかったのはそれだけではありませんでした。
ピストでは、かなり低い空気圧で砂漠とガレ場を交互に走るので、何度もパンクに
見舞われたのです。しかも、こちらは旅行者ではなく商用の「売り物」のトラック
ですから、経費はなるべく安く、といった感じ。。。再生タイヤならまだ良いほうで、
タイヤは全てボロボロ&ヒビが入りまくり、裂け目まであるようなタイヤも平気で
使っていました。さすが、「何とかなるさ」のフランス人。ラテン系の人々は、
細かいことにこだわらない!用意周到でシリアスなゲルマン系の人々とは対照的です!?
何回パンクしたかよく覚えていませんが、結局3本あったスペアタイヤを、
たった2日で全て使い果たした事を思うと、最低3回はガレ場でパンクしたわけです。
うち一回はひどいバーストで、時速90キロで走っている最中に、
「うおおお、なんかトラックかたむいてないか?」
「またパンクだ!どのタイヤだ?窓の外を見てみろ!」
(Ryuと私、窓からトラック後方を見て唖然。砂漠にタイヤの破片を撒き散らしながら
走っているではありませんか)
「もうダメだ、タイヤがもうないぞ!止まれ止まれ!」
。。。降りて見てみると、タイヤは跡形もなく、ホイールだけで走っていたという。。。
基本的にチューブレスですから、スペアタイヤを使い果たした、という事は
「もう後がない」という事に等しく、「あと一回パンクしたらどうするつもり
なんだろう。。。」と不安に思っていたら、案の定3日目に、かなり難しい大砂丘の
てっぺんでいきなりFタイヤがバースト(2度目)し、あわや砂丘に突っ込んで大惨事!?。。。
という所で運良く助かりました(トラック傾いたまま。。。)。が、
もうスペアタイヤはありません。すると、ベテランドライバー
がどこからか、最後に唯一残されたチューブをひっぱり出してきました。
砂まじりの強風が吹きすさぶ中、全員まつげの先まで砂だらけになりながら、
何度失敗してもあきらめずに、最後のパンク修理です。
(注:穴だらけだったので、私達のパンク修理キットを使って、3回修理してやっと直った)
さあ、本当にもう後はありません。あと1回、たった1回でもパンクしたら、我々全員
が砂漠の上で立ち往生するのは目に見えていました。「ああ、あと一回パンクしたら
もうバイクをヌアクショットまで持っていくのは不可能になるんだな。。。もし
そうなったら、砂漠にトラックごとバイクを置き去りにする写真を撮って、JAFに
証拠として見せなきゃいけないな。。。短い旅だったなぁ」と、美しい砂丘を眺めながら
旅の終わりを真剣に予感したのでした。ここでは人間の運命も生死も、自然の心ひとつで
決まってしまうのです。
ところが、最後の1日、奇跡的にタイヤは一本もパンクせず、無事にヌアクショットに
到着できたのです!嬉しかったこと!
もしこれがパリダカのように、トラックにはまっているのが
全て新品のタイヤでありさえすれば、パンクなんかに悩まされる事はなかったでしょう。
しかもレース目的や純粋な旅行目的の場合、パンクに備えて十分なスペアタイヤだって
持っています。
ところが商業目的で砂漠を超えるクルマの場合、採算がとれる範囲でしか装備を
整える事ができません。我々のトラックのタイヤが最初からオンボロだったのは
そのためです。商業目的の砂漠越えというのはもっとのんびりしたものかと思っていましたが、
彼らは意外とギリギリの線で、命がけで冒険しているのだ、という事に初めて
気づいたのでした。
それにしても、このコンボイのフランス人達は、本当に愉快で素晴らしいメンバー
でした。何度も絶望的な状況になりながら、いつもガハハハと笑って、最後まで
絶対に諦めないのです。(もしこれが日本人メンバーだけだったら、途中で絶望して
レスキューを呼ぶハメになっていたかも。。。)
4日目にやっとヌアクショットに着いた時は、すっかり全員と友達です。
カタコト以下のフランス語では全く言葉は通じませんが、目と目で心が通じる
ようになると、今度は別れが惜しくなってしまうのでした。。。。
主要メンバーは次の通り。。。
「どうだい君達!楽しかったなぁ~!ガハハハハ」と社長のDaniel(ダニエル)、
「私、砂漠初めてだったのよ。フフ」と奥さんのCecile(セシル)、
ドライバー3名:
「砂漠越えは俺にとってはバカンス」と勇敢なStephane(ステファン)、
「僕、砂漠を運転するのだぁい好きさ!」と愉快なJean-Paul(ジャンポール)、
「砂漠こそワシの人生そのものだ」とベテランのJuan(ワン)
旅行者6名(我々含む):
「旅は慣れてるけど、今回みたいなのは初めて!」と赤い4駆のValerie(ヴァレリ)
「もしフランスに来たら忘れずに遊びにおいでよ」とその夫のBenoit(ベノワ)
「スイスに残してきた彼女が恋しい」とクールなスイス人のJulien(ジュリアン)
そして、モーリタニア人ガイド1名:
「私の目は、闇夜でも深い砂と締まった砂の見分けがつく。
砂漠で生まれ育ったのだから当然のこと。。。。」とSidi(シディ)。
みんな、忘れられない想い出を本当に有り難う!!
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