おはな日記(24) by Ryu
<< 前へ | 次へ >> Written;2003/12/09 Ryu---Zambia---
●Zambia <雑感> ◇滝の近くのキャンプ場に宿を取り、満月の明かりに照らし出された滝を見てみたいものだと、2~3日そこで粘るが天候に恵まれず、また次の機会がきっとあると後ろ髪を思いっきり引かれつつもこの街をあとにする。ちなみに満月の夜、その月から放たれた青白い光は、滝が巻き上げる水飛沫に屈折して虹をかけるという。アフリカの月光と滝。その滝壷の底から、これまでになく大きな白龍が空高く舞い上がってゆく姿を見たかった。
《Lusaka》
《男がそんな簡単に泣くんじゃない》 親に捨てられて行き場がなくここに預けられた子供達と、親がエイズで死んでしまった「エイズ孤児」達もここで暮らしている。日本でも、サックス奏者の渡辺定雄さんが訪れたりして紹介されたことがあるので、もしかすると意外にも知らないのは旅行中のボク達だけかも知れない。 ザンビアの日本大使館の書記官の方から、その場所とだいたいの様子を聞いて、「大丈夫かな、ワシ」。と少し心配していた。 「エイズ孤児と呼ばれる子供たちの大半は、母子感染していて10歳までくらいしか生きられないそうです」。 「それじゃ、孤児院で自分が死ぬのを待っているようなものじゃないですか・・・」。 と、こんな話は聞くだけで、そこに行く前から涙が出そうになる。そう、心配したのは、せっかく子供たちと遊びたいとそこに行くのに、顔をみるなり泣き出さないかと思ったからだ。いい歳をしたおっさんが鼻水たらして泣いたのでは、逆に滑稽で面白いかもしれないが、子供たちがつられて泣き出しては洒落にもならない。 ルサカ中心から郊外に延びる日本の建設会社が造ったというアスファルトの舗装路を30キロほど走り、そこから、ほんの少し脇に入ったアフリカらしい赤茶けた地道をさらに5キロ走る。今は乾季で砂埃だけですんでいるが、雨季になるとこの道は恐ろしいことになるんだろうなと思いつつも、両脇を草と雑木で挟まれたボコボコだらけの道をゆっくりと進んだ。そして、やがて見えてきた村に入ると白い壁に囲まれた「カシシ孤児院」があった。 いきなり訪れた無礼を迎えてくれたシスターにお詫びして、孤児院内の見学と子供たちと遊びたいという旨を伝える。シスターはボク達がここで働く海外青年協力隊の青年に会いに来たものと最初勘違いしたが、そうでないと解ると自らをかって案内してくれることになった。 いくつかの部屋を案内されるが、どこをみても清潔で、生まれたての乳児のために保育器まである。まるで病院なみだ。そして、さらにいくつかの部屋と施設をみてまわり「ここがエイズ孤児の棟です」と案内される。 まったく、涙を流す暇もクソもあったものじゃない。 部屋に入ると子供たちがボクの胸めがけて飛び込んできた。一目散にだ。それはもう、運動会のカケッコみたいで、我先にとボクをゴールに突っ込んでくる。こんな時は、もう、月並みな言いようしかボクにはできない。《心が洗われる思いだった》。本当にそう感じることが出来た。どの目にも偽りがなく、死を恐れた臆病さもない。皮膚に現れたカポジ肉腫で、明らかにエイズが発症しているとわかる子どもでさえ、こっちに向けてくる笑顔は生きている。 この子達は、ここで一緒に暮らしていた何人もの友達が裏の墓地に埋められるのを見て、自分もそうだと薄々感じている筈なのに。 「そんないっぺんに、飛び込んできても抱き上げきれへんやんか」。ボクは、とにかく抱けるだけの子供たちを抱きかかえ、それを教えてくれたお礼にと、彼らのほっぺにキスしてまわった。
*AIDS
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