おはな日記(27) by Ryu
<< 前へ | 次へ >> Written;2003/12/09 Ryu---Malawi No.3---
●Malawi<雑感> ◇不思議に勘がさえる男で、セネガルで出会った頃は英語も全然だったのに、その勘の良さが手伝って「ツッコミとボケ」ができるほどに上達していた。実は、苦手だったグレンとボクとの距離を見事に縮め、この3人の馬鹿話のリズムをとるのも「おかやん」で、一日の終わり、ビール片手に、夕焼けを眺めながらのあの時間が、いまも、まだまだ、懐かしくて恋しくてたまらない。 ◇それにしても、忙しかった。毎日、次から次へとくるお客さんは切れ目なく、ここまで運動不足だった体に鞭打って、インストラクラーのナホコさんの手伝いをするためにダイビングについていく。最初はファスナーがしまらなかった「Mサイズ」のウエットスーツは1ヶ月後には、体にぴったりフィットして、気がつくと体がキュッと締まっていた。 ◇生まれて初めてマラリアになった。朝から、どーも今日は体がだるいと思っていたら、午後になると足元がふらついて立っているのさえ辛くなる。さすがに、これではダイビングはできないと、家に戻ってベットに横になると次にやってきたのは悪寒。部屋の中は35度も、36度もあるというのに、シュラフ2枚とブランケットを重ねてかけてもまだまだ寒い。西アフリカのセネガルで、もしものためにと買っておいたマラリアの治療薬をあけて飲む。それから、4日間。その薬を飲むたびに熱は下がって体の調子は徐々に回復するものの、結局、グレンに「あと1週間はこの抗生物質を飲め」と手渡されて合計10日間の闘病生活になる。
《69回目のダイブ》 もうそろそろ、あと1週間もすれば、ここを出ることになるかなと思っていたある日のこと、いつものようにダイビングを終えて店に戻るボートの上でナホコさんがこう言った。もちろん、これは「PADI」ではなく、グレンの「IANTD」のダイビングとしてという名目でだ。 正直、これを聞いただけで少し緊張した。おかやんは既にボクなんかよりも、すごく先を進んでいて、100mのダイビングに挑戦して成功している。「グレンのダイビングは遊びじゃない」。こう思ったのは、おかやんの100mダイビングをボートの上からみていたからだ。 不用意に深く潜るとダイバーの命はたちまち危険にさらされる。 これは、水圧の変化により限界を超す窒素が吸収されてその結果、潜水病になったり、限界量を超す酸素が体内に吸収され酸素中毒になるからだ。グレンがおかやんに教えるテクニカルダイビングは、その危険を回避するためには、綿密なダイビング計画をたて、水中でどの危険にも遭遇しないために、窒素や酸素の量、あるときにはヘリウムをブレンドした空気を水中で何度もチェンジする。また、水中で突然マスクを外されたり、空気を供給しているタンクのバルブを締められたりと、万が一、アクシデントが発生しても平常心を保つための訓練も必要となる。マジもマジ、大マジのダイビングなのだ。 「そんな深く潜って、何が楽しんや?」 どうも理解できず何度か聞いたことがある。そのたびに、それなりの返事があって、その時だけは理解するが、何日か後にはまた、同じ質問をしてしまう。「PADI」の40mまでのダイビングなら、連れていったお客さんがパニックになっても助けられる心の余裕も十分ついていたが、それが、テクニカル・ダイビングとなると興味はあるが恐い気もする。それが、本音だった。 69回目のダイビングはボクが出発する日の朝、「Zim・Rock」とよばれるダイビング・ポイントですることになった。結果は散々だった。いつも違う器材に戸惑い、心に余裕がない。呼吸は見事に乱れ、まったくの素人と変わらない。45mを少し超えた深度でグレンから、戻ろうの合図が出たときは悔しくて仕方なかった。極度の緊張で呼吸が乱れ潜行時に空気を吸いすぎ、浮上するための空気残量が十分になかったからだ。 平常心を保てなかったこと。それが悔しかった。ダイビングを終えて、いっしょに水面に浮上してきたおかやんが、ボクの横でニヤニヤこっちを見てる顔を見るのも悔しかった。グレンが、「いいダイビングだった」と言ってくれても悔しかった。 そして、何よりこれでグレンとダイビングできないと思うと、それが一番悔しかった。
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