宗一郎日記(11) by Naoko
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2003/04/21 Mali(5) -- We met Ken & Yuko again!
その後、我々もMission Libanaiseに引越し、4人で楽しくバマコ滞在を楽しんだ
のでした。しかも、行き先が同じDjenne(ジェンネ)とDogon(ドゴン)方面だったので
「日本人ライダー4人で一緒に行きますか」という願ってもない提案に私たちは大喜び。
2003/04/21 Mali(6) -- Djenne (Grand Mosque & Monday Market)
ジェンネのグラン・モスクくらいは写真で何度か見たことがあるので、まあ現物を
この目で確認できたらいいや、くらいに思っていたのですが、実際に本物を見てビックリ!
信じられないデカさです。それも全部、本物の「泥づくり」!! 泥だなんて日本では
考えられない建築様式ですが、ここ乾燥したマリでは、泥で作った日干しレンガと
泥のコーティングこそが、最も強固で優れた建築素材なのです。それも、泥作りなのは
有名なグラン・モスクだけでなく、村中の建築物すべてが丸みを帯びた泥づくりの
建築なので、どこを向いても絵になる風景。泊まったホテルも泥づくりで、もちろん
電気も水道もないのですが、居られるだけで幸せ~。
※ちなみに着いた日は月曜日で、有名な「月曜市」が開催されており、
グランド・モスクの前は大勢の着飾った地元の人々で埋め尽くされていました。
市では、トマトから布地まで、ありとあらゆるものが売られています。Ryuは
使わないハサミと、ゴージャスなビーズ細工を物々交換してもらって満足顔。
2003/04/21 Mali(7) -- Pays Dogon (Falaise de Bandiagara) それはさておき、ドゴン周辺は観光客が多いので地元民がスレていると聞いてはいましたが、 入り口の村、Bandiagara(バンディアガラ)に着くなり自称ガイドがやってきて、 「ドゴンに行くんでしょ。ガイドなしで行くのは危ないよ。僕を雇った方がいいよ」 と始まり、結局彼の薦めるホテルに泊まったら、一日中、入れ替わり立ち代わり 「ガイド雇わずにドゴンに行ってどうなっても知らないぞ」とか「問題起こしても 全責任を自分達で負うと警察署に宣誓してから行け」とか、全員グルになって あの手この手でガイド雇わせようとします。それもそのはず、ドゴン集落のガイド料 の相場は、一般的なマリ人の年収に相当すると言われ、ガイドは花形職業なのです。 しかも閑散期のこの時期、貴重な客を逃してなるものか、必死になるのも無理ありません。
しかし我々日本人ライダー4人は、ガイドを雇って却って行動が制限されるのもイヤだし、
なにより、初日からこんなにガイドガイドとしつこくされて、すっかりドゴンに興味を
無くし気味。翌日、「ドゴンの村人がそんなに狂暴で危険なら、恐いからもう行くのやめるよ」
とウソついて、うるさい連中を振り切り、出発。
結局、崖上のDjiguibombo(ジギボンボ)の村に3泊、崖下のTeli(テリ)の村に3泊、合計 一週間くらいドゴン集落でのんびり過ごすことができました。ちなみにRyuは村の子供たち に大人気で(子供たちに気前よくアメを配るのがRyuの日課)、毎日大勢の子供たちに 囲まれては村を案内してもらったり、すっかりドゴンに溶け込みモード。優子さんに 「ボンボン(アメ玉)で少女誘拐!」と言われるほど少女達にモテモテのRyu。「ほんま 可愛い~、日本連れて帰りたい~」と国際問題になりそうな発言をしつつも、毎日が幸せ顔 なのでした。 しかもジギボンボの村ではたまたま仮面祭が行われる日に運良く居合わせたため、素晴らしい 仮面の踊りを見ることができて感動!またテリの村では日本人が学校を建てた(本当に!) という経緯もあり、対日感情がかなりGOODでした。テリ集落の泥作りの家々は、 それだけでも味わい深い趣があるのに、なんと集落に面した断崖の中腹にも、 古代の集落跡が残っているのがミソ。実際に崖の中腹の古代集落まで連れていって もらいましたが、まるで天空の城にでも来たかのような錯覚を覚えるほどのスゴさです! こんな空中のような所に人が生活していたなんて、とても信じられません。また、 そこからの眺めも最高で、オーバーハングした崖の中からはるかサバンナの地平線を 眺めるのは「いろいろあったけど、ここまで来てよかった~!」と心から思うひととき でした。 20以上あるドゴンの集落のうち、たった2集落しか訪れていないのに、これだけの驚きと 感動があったということはスゴイことです。でも、それは村人との交流があってこそ。 もしガイドを雇って、毎日次から次へと集落を移動し続けたならば、全ての集落を「見る」 ことは出来たかも知れませんが、とても村人と仲良くなるヒマなどなかったと思うのです。 それもこれも、バイクで旅していたからこそ出来た事だと思うと、あらためてバイク旅に 感謝、なのでした。。。
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