宗一郎日記(23) by Naoko
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2003/10-12 Tanzania -- 50cc Gorilla (Dar-es-Salaam) 実は彼、私たちがザンビアのルサカを出発した後、入れ違いでルサカに到着 したそうです。そこでEarth Walkerのポール・コールマン氏や中渓さん達に出会い、 私たちがそうだったように、いろいろ感じるところがあって、なんと1ヶ月も 彼らと一緒にすごしていたとか!お陰で、ポール達の最新の活動を詳しく 知ることができました。ルサカでは思ったより成果があったようで、ひと安心。 時速30kmで走るマサキさんは、一日150kmのペースが普通なのだとか。 (ちなみに私たちは時速50~60km、一日200km~250km前後です。) さっそくマラウィのンカタ・ベイで追いつき、最後のマラウィ湖を一緒に シュノーケリングで楽しみました。その後、私たちは先に出発して タンザニアに入ります。「ダルエスサラームで再会しようね」と約束して。。。
ところがタンザニア側は想像以上に山の多い道で、大きなアップダウンや
ワインディングにヒヤヒヤしながら走りました。「うー、タンザニアは
もっと平らだと思っていたのに、これじゃマラウィの高地よりしんどいかも。
後からやってくるマサキさんは大丈夫かなぁ」と心配しながらトコトコ。
(でも道中の景色は東アフリカでも屈指の美しさでしたよ!)
2003/10-12 Tanzania -- About Tanzania (Dar-es-Salaam) ところが、タンザニアの田舎でひとつ戸惑ったことがあります。それは、英語が ほとんど通じないということです。公用語のスワヒリ語を話せなければ 食堂ひとつ探すにもひと苦労。ザンビアやマラウィのど田舎だって最低限の 英語は通じたものですが、ここタンザニアの田舎ではムリに英語で通そうとすると まったく具合の悪いことになります。(英語を使うくらいなら、マラウィの チェワ語を使った方がよっぽど相手の反応が良い。英語は嫌われている!?) 一度、とある村の安宿で「泊まりたいのですが部屋はありますか」と英語で尋ねに 行ったら、「部屋はない」と言われ追い出されてしまいました(本当は見るからに ガラ空きで、部屋がない筈はないのですが)。そこで一考し、今度は別の安宿に行き、 カタコトのスワヒリ語を使って「部屋はありますか」と尋ねたところ、宿の人々が 優しく歓迎してくれ、良い部屋に通してくれました!スワヒリ語バンザイ! ご存知の通り、アフリカのほとんどの国は、かつてヨーロッパが強制的に 国境をひいてしまったので、一国の中で何種類もの異なる言語が 話されているかと思えば、国境をまたいでも同じ言語が通じるなど、 アフリカ人の歴史やアイデンティティは見事なまでに無視されているなぁ、 と感じたものです。従って、ほとんどの国で旧宗主国の ヨーロッパ言語(フランス語、英語など)が公用語として採用されており、特に ガーナなど一国の中に70もの言語をもつ国では、かなりの人々が自国内でも レベルの高い英語を用いています。広範囲で英語やフランス語が通じるという現象は 旅行者である私たちにとっては大変都合が良かったのですが、同時に「アフリカで 生まれ育った人がわざわざ『国語』としてヨーロッパ言語を学ぶのはどんな気分だろう」と 複雑な思いでした。そんな中にあって、タンザニア(行ってないけどケニアも) は、ほとんど英語に頼らず国を成立させているところがスゴイ! スワヒリ語国家ガンバレ!ンズーリ(GOOD)! (Text Written: 2003/12/19 @ Tanzania, Dar es Salaam)
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