宗一郎日記(16) by Naoko

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2003/05(中旬) Madagascar(1) -- Antananarivo
優美なアンタナナリボの町 そんなこんなで、5月18日、ついに憧れの島「マダガスカル」にやって来ました。首都Antananarivo(アンタナナリボ=通称タナ)に着いた第一印象は「うひゃー、全てが輝いて見える~。なんで~?」。本当に、空気が透き通っていて、空は真っ青、緑豊かで、複雑な地形に這うように建っているレンガ造りの家々、美しい棚田(北陸よりすごいかも)の数々、人々は驚きなことにアジア系の顔立ちの人が多く、いきなり親近感をおぼえます(歴史的にインドネシアから移住してきた人々が多いとか)。さらに、旧フランスの植民地だけあって、町並みが何となくヨーロッパ風です。とにかく、見るもの全てが想像を超えていました。ひょっとして私達、すごい所に来てしまったのかも。。。

さて、見知らぬ首都の初日、頼んでもいないのに勝手に街を案内するといって私達に付いて来る怪しい男が登場。荷物が重いので走って逃げることもできず、放っておいたらどこまでも付いてきて、挙げ句の果てに「俺のお陰でスリにも遭わずに無事に街まで来られたんだから金をくれ(フランス語)」とのたまう始末。あーあ、見かけはアジアでも、こういう所はアフリカだなぁ、と思いつつ、西アフリカで学んだカタコトのフランス語を駆使して追い払おうとする私でしたが、全く効果なし。あまりのしつこさに終にRyuがブチ切れ、「どっか行け言うとんじゃコラー!!(関西弁)」これで怪しい男はヒャーと言って逃げていきました。前からうすうす感じていたのですが、やはり関西弁は国際的に通用する言語なのかも知れません。ううむ。

2003/05(中旬) Madagascar(2) -- Antsirabe
中央山脈と美しい棚田 マダガスカル旅行では頼りのバイクがないので、交通手段は全て地元のTaxi Brousse(タクシーブルース=乗り合いバン)です。旅行者はもれなくふっかけられるので、料金交渉はシビアに取り交わします。この島ではフランス語のほかに関西弁も通じることが分かったので慣れればバッチリ。「C'est trop cher! そら高すぎやで。J'ai pas de l'argent! ええやんか、まけて~」攻撃でマダガスカル中を貫き通す私達なのでした。

はるか昔にアフリカ大陸から分断されたため、独自の進化を遂げたマダガスカルの自然。日本でもTV等でよく報道されるので知っている人も多いかもしれません。が、本物のマダガスカルはもっとスゴイ!!起伏に富んだ高地に目を見張るような美しい棚田がどこまでも続いていて、人々の生活は貧しいながらも、赤茶色のレンガ造りの村にはかなりの美的センスを感じます。それは別に特別な観光地でも何でもなく、マダガスカル中央高地のフツーの風景なのです。あまりの風景に圧倒され、移動中、片時も目を離すことができませんでした。個人的には世界遺産級の感動だったかも。。。

アンチラベの温泉マッサージ そしてAntsirabe(アンチラベ)の町に到着。この小さな美しい町には何と天然温泉があります!日本とは違って、個室のなかにヨーロッパ風のバスタブがあり、1人30分ずつ浸かることができるのですが、温泉に飢えていた我々にはかなり高得点でした。さらに、アンチラベはマダガスカル中で採掘される貴石・宝石類(水晶、化石類)が集まる場所でもあり、日本では有り得ないくらい安い値段で取り引きされています。石好きの私達はうれし涙。単なる通過点と思っていたアンチラベでしたが、宿は居心地よく、食事は安くて美味!気が付いたらアンチラベが私達のマダガスカル旅行の拠点になっていました。

アンチラベの町と人力車 イサロ国立公園。見渡す限りの奇岩。絶景!
イサロの岩山の中にある美しい湧き水

2003/06(上旬) Madagascar(3) -- Tsiribihina & Pirogue
雄大なIsalo(イサロ国立公園)のトレッキングから再びアンチラベに戻ってきて、そこから先どう移動するか頭を悩ませていた時に、偶然2人の日本人旅行者が現れました。聞けば、2人はTsiribihina(チリビナ川)を船で下って、バオバブ並木で有名なMorondava(ムルンダヴァ)まで行くと言うではありませんか。「川下りでバオバブ」といえば、Ryuが予算の関係で諦めようとしていたルートです。「4人で交渉すれば絶対に安く行ける!」と意気投合した我々は、翌朝さっそくタクシーブルースを4人がかりで値切ってチリビナ川へと向かったのでした。

本物の丸木舟(ピローグ)でチリビナ川を下る メンバーは、ヒトミさん(英・仏・西と語学に堪能!)と、ユウキさん(特技の空手で大人気!)のベテラン旅行者2人アンド我々(バイクなしのバイク旅行者)です。川沿いの村に着くやいなや、待ってましたとばかりに英語のできる奴がやってきて、値段交渉スタート!だいたいマダガスカルで英語ができる人間というのはちょっと怪しいのですが、こちらも4人なので負けてはいません。船頭さんの日当や食費など、地元の物価もだいたい分かっているので、項目ごとに値段を洗い出し、相手のどんぶり勘定を阻止します。

「ところで、どの船で行くんですか。船を見せてくださいよ」と川まで行ってビックリ。ガイドブックには「屋根つき、モーター付きの船で行くべし」と書いてあったのに、目の前にあるのは正真正銘の丸木舟ではありませんか!「今は乾季で水が浅いからモーター付きの船は動けない」とのこと。カヌー?と言えば聞こえはいいですが、木をくり抜いただけの船はpirogue(ピローグ)と呼ばれており、幅40cmくらいですから、当然モーターはおろか屋根すら付いていません。ガーン。マダガスカルはさすがにワイルドです。

チリビナ川の砂洲でキャンプ したがって、2泊3日の川下りはすべて人力によっての移動でした。「すごいー。前からこんなんやってみたかったんやー」と、オールを手に喜ぶRyuでしたが、ピローグの推進力の70%以上は、ひとえにこの道ン十年のパワフル船頭さんの無言のオールさばきによるものだったと思われます。私達のベテラン船頭さんは、岸辺の珍しい動物たちを、驚異の視力で見つけては船を近くに寄せて見せてくれるのでした。青く輝く美しい鳥や、愛らしいレムール猿の群れ、でかいカメレオン、崖の上のコウモリの巣など、退屈する暇がありません。しかも船頭さんは、朝食、昼食、夕食のすべてを料理してくれる至れり尽くせりの人なのでした。夜はどこで寝たのかって?そのへんの無人の砂州にテントを張ってキャンプです。川に飛び込んだり、焚き火を起こしたりしてワイルドに盛り上がる我々。。。。

ピローグでしか来る事のできない神秘的なカスケード滝 2日目からユウキさんが体調を崩したのが気がかりでしたが、さすが空手をやっているだけにタフな精神力で過酷な船旅に耐えていたのが印象的でした。マダガスカルに到着して1週間もたたないうちに丸木船で川の上、というハードスケジュールだったのだから無理もありません。さて、その2日目のハイライトは美しい大きな滝!! なんと驚きなことに、水の色が温泉色(半透明の水色)という、超美しい滝です。付近には村も道もなく、従ってこの滝を訪れる手段はピローグしかありません。チリビナ川にこんなハイライトが隠されていたとは。。。病気で倒れているユウキさんに悪いと思いつつ、ヒトミさんといっしょに滝壷の天然プールで「温泉ごっこ」をして遊んでしまう私達でした。楽しかったなぁ。

2003/06(上旬) Madagascar(4) -- Morondava (Avenue du Baobab)
さて、3日目の夕方、ようやく終点の小さな村に到着です。「あー、ワイルドな船旅だったね。楽しかったね」で、もうアドベンチャーは終わった気分になっていた私でしたが、甘かった。 真のアドベンチャーはここから始まるのでありました。

川下りの後に到着した小さな村にて 船頭さん曰く、「この川沿いの小さな村には宿泊施設がないから、牛車に荷物を乗せて、歩いて隣村まで移動します」。どうせ15分くらいで着くだろうとタカをくくっていたら、とんでもない。ヤブの中の小道を行けども行けども、村は見えてきません。しかも、道はだんだん悪くなり、ドロドロの水溜まりだらけになってきます。最初は避けて歩く事ができたのですが、そのうち小道が突然、ヤブの中の沼(しかも相当深い)と化している場所があり、「ギョエー!!」
我々は全員、牛車の上に乗せられ、可哀相なゼブ牛2頭はムチで打たれて沼の中にズブズブ。たぶん、沼の深さは腰くらいで、荷物&人間満載の荷台のすぐ隣は見渡す限りの泥水です。地元の人はゼブ牛と共に泥水に浸かって沼を渡るのでした。そのうち日が暮れてきて、「これで難所は超えたか」と思ったのもつかの間、暗闇の中、大きな水溜まりはまだまだたくさんあったのでした。ガク。(ちなみに乾季の話です。雨季はたぶん通行不能でしょう)

宿泊地の村に着いたのは夜でした。「いやー船降りてからの方が大変だったね、でも明日はムルンダヴァの街まで車で移動するだけだから楽だね」。。。。。

途中でブッ壊れたボロい4WDのバス 翌朝、9時に4WDのバスが出るというので、さっそく4人の名前を書いて出発を待ちます。ところが、待てど暮らせどバスが出ない。運転手に聞いたら、「定員16名なんだよ。あと8人乗らないと採算合わないから車は出せないよ。まあ、君たちがあと8人分払ってくれるなら、今すぐ出発できるけどね。」と、セコい事を言ってきます。ちなみにバス代は決して安くはなく、いくら時間を金で買うと言っても、あと8人分払えとはムチャクチャです。(多分、昔、急ぎの観光客が言われるままに大金を払った事があるのでしょう)。幸い、我々4人は時間だけはタップリあったので、「あっそう。じゃあ、あと8人来るまで待つよ」。。。と、再び4人全員、宿まで戻って、日記を書いたり本を読んだり、くつろぎモード。すると今度は運転手が慌てだし「あと3人だ。あと3人分払えば今すぐ出発だ」「あと3人でしょ。待つよ。お構いなく」「もし誰も来なかったら出発は明日だぞ(脅し?)」「そんなら、この村にもう一泊するからいいよ(ザマーミロ)」

そして10分後。ついに折れた運転手が、「おい、出発だ」。ホーホホホ、我々の勝ちです!?

4WDのバスは、ボコボコのオフロードを何時間も走ります。途中、パンクのおまけ付き。さて、私は最初、このバスが街までダイレクトに行くと勘違いしていました。実際には、私達が出発した村は、かなりの奥地で、なんと、もうひとつ別の村を経由しないとムルンダヴァの街まで行けないことが判明!!ガーン。欲張り運転手のせいで半日待たされた私達が、その経由地の村に着いたのはもう夕方です。そこから街まで、また別の車に乗り換えなくてはなりません。日が暮れるなか、足元を見られた我々4人はまたまた別の「乗せ屋」にふっかけられます。これかなかなかしぶといオジサンで、1円たりともまけてくれません。夜が迫って来ていることもあり、結局、地元の人の10倍近い値段で乗るハメに。今度は我々の負け!?

やっと目的地のムルンダヴァについた頃にはとっくに夜で、乗客はもれなく上から下まで真っ赤な砂ボコリでドロドロ状態。はー、ムルンダヴァまで来るのがこんなに難儀だったとは。

夕暮れのバオバブ並木。これぞマダガスカル! しかし、私は感動していました。夕闇のオフロードを車が走っているとき、憧れの「バオバブ街道」を通ったのです!宇宙から来たような不思議な姿をしたバオバブが、夕日の中に幾本もシルエットとなって自分の前を通り過ぎていくのは、なんとも感慨深いものがありました。それは、西アフリカのセネガルやマリで見たバオバブとは全く違う形をした、マダガスカル特有の種です。「あの風景は、ここムルンダヴァでしか見ることが出来ないんだなぁ」と独特の風景に圧倒されつつ、久々のシャワーで髪の毛を洗ったら、赤茶けたマダガスカル色の汁がたくさん出てきましたとさ。

ここで一句。「川くだり 降りてからが アドベンチャー」

2003/06(上旬) Madagascar(5) -- Farewell to Antananarivo
一ヶ月の旅行を通じて感じたこと。。。
マダガスカルの人々の多くは西アフリカに負けないくらい貧しかったです。しかし、西アフリカ(旧フランス植民地)の若者が「いつかフランスに行ってリッチになりたい」と野心に燃えるとは対照的に、マダガスカルでは、島を出て成功したいと夢みる若者には一人も出会わなかったのが印象的でした。マダガスカルの人々は、貧しいけれども、心は満ち足りているのかも知れません。豊かな自然に育まれながら。。。

女王宮からみおろしたタナの町。とても美しい。 再び首都タナに戻ってきた私達は、ある日なんとなく気まぐれで、古い女王宮があるという丘の上まで散歩してきました。坂だらけのタナの事ですから、ヒイヒイいいながら石畳のクネクネ道(スペインのグラナダを思い出すなぁ)を登っていって。。。。「うおおおお、すごい!!」
そこには、タナの街を見下ろす予想以上の大パノラマが広がっていました。残念ながら、肝心の女王の宮殿は現在は火事であらかた焼失しています。しかし、かつての栄華の時代に、女王がここから見ていたであろう景色に想いを馳せるのは、まさに豊かなマダガスカルのしめくくりにふさわしい出来事でした。

アフリカのような、アジアのような、なんとも美しく平和な島。私達もすっかりハマってしまい、「老後はマダガスカルで暮らすかぁ」が合い言葉となってしまったほどです。

(Text Written: 2003/07/29 @ Botswana, Francistown)

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