宗一郎日記(17) by Naoko
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2003/06(中旬) South Africa Part2(1) -- Pretoria (Cullinan) それはさておき、プレトリアのすぐ近くにCullinan Diamond Mine (カリナン鉱山)という有名なダイヤモンド採掘地があるので行ってきました。ここは現イギリス王室の王冠や杖にはまっている「カリナン I~VIII」と呼ばれる巨大なダイヤモンド塊が発掘された所です。
カリナン鉱山には、地表から見ても分かる世界有数の「人工の穴」があいています。「よくここまで堀ったもんだ」と誰もがビックリするデカさ。穴の写真を撮ろうと思っても、一番広角なレンズを使っても端から端までフレームに収めることができません。 「ぎゃああああ値段もすごい~~!!!」(卒倒)
2003/06(下旬) South Africa Part2(2) -- Pretoria (Economical Difference) その道に入ったとたん、ガラリと空気が変わりました。そこには黒人しか住んでおらず、通りには仕事のない人々が溢れています。その道を通る車も黒人の車両のみ。オンボロのバンに人がぎゅう詰めで乗っています。見渡す限り、白人は一人もいません。まるで、「白人が避けて通る所」という暗黙の了解があるかのようでした。
そこに住む全員が底無しに貧しいのは一目瞭然で、突然迷い込んできた怪しい東洋人のバイク旅行者に好奇の視線が突き刺さります。注目の的になるのは西アフリカで何度も経験してきた事ですし、ニコニコ笑って手を降ればみんな友達、と心では分かっていても。。。。南アのそれは、正直、かなり違う印象でした。 信じられない経済的落差にショックを受け、「南ア=豊かな国」というイメージが私の中でガラガラと崩れ去っていったのでした。アメリカにも白人と黒人の間に似たような経済格差があるとはいえ、ここまでひどくあからさまではなかったと思います。10キロほどのその道は、プレトリアの街が近づくにつれ、だんだんバラック小屋からプレハブの家、そして最後にはレンガ造りの裕福そうな家の集落に変化していきましたが、それでもそこに住む人々は最後までみな黒人ばかりでした。
2003/06(下旬) South Africa Part2(3) -- Mpumalanga (Blyde River Canyon) ※この季節、南アはめっちゃ寒かったです。しかも標高の高いンプラマンガでは毎日曇っていたので、昼も夜も東京の11月クラスの寒さです。それ以外の地域(Pietersburgなど)では日中と夜間の寒暖の差が激しい!キャンプをしていたとき、昼間はジリジリの太陽で「暑い~」なのに、夜は氷点下の寒さ!MAX着込んで、シュラフカバーまで動員して寝てもまだ寒い。とある早朝にテントから出ようとしたら、テントからボロボロ「氷」が落ちてきました。恐るべし。。。 Blyde River Canyon は期待どおり、素晴らしく雄大で美しかったです。Three Rondavelsと呼ばれる奇岩や、その昔砂金が発見されたというPotholes(面白い形の穴がボコボコあいている)、特殊な地形によってもたらされたRainforest(熱帯雨林?)などなど。。。。 でも数箇所ある公園の入り口には、必ず黒人の人々の露天の「みやげ屋」が出来ていて、看板には「観光客(=主に白人)の皆さん、コミュニティを助けるため、みやげ物を買っていってください」と書かれているのでした。(素晴らしい細工の置物が、びっくりするほど安く売られています) 同じ南ア人同士なのに、なんだか白人も黒人も互いを外国人と思っているような、不思議な感じです。
2003/06(下旬) South Africa Part2(4) -- Impression
これはひとえに、日本が優れた自動車や電気製品やカメラなどを輸出するリッチな先進国として認知されているお陰だったと思います。一方、日本人の南アフリカに対する認識は。。。。(なんかよく分からないけど危なそうな国?) ちなみに南アは非常に旅行しやすい国(多分オーストラリア並?)ですし、言われているより全然安全です(治安が悪いのはヨハネスのダウンタウンだけ)。気候も良く見所も多いので、ビビらずにどんどん旅行しに来て欲しいと思います。特に日本人にとっては多くの「目からウロコ」が期待できると思うので、ぜひお勧め! ※。。。といいつつ、今回は泣く泣くCapeTown(最大の見所らしい)を諦めた私達でした(寒すぎて)。グスン。 (Text Written: 2003/07/30 @ Botswana, Francistown)
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